2006.10.01
DT DESIGN AWARDS 2006 募集要項を発表しました。

 
 


 
「特殊と普遍」/その解説  by 黒川雅之

1.道具の身体性と個別性・・・道具の身体性が標準化を拒絶して普遍を求める

イチローも松井も自分用にバットを誂えている。要するに特注の自分のバットを持っている。スポーツのプロは靴だったり自転車だったり自分の道具を特別にオーダーしている。昔から板前は自分の包丁を誂えていた。大工は自分の大工道具を準備していた。誰でも使うユニバーサルな道具などは求めていなかったのである。「誰にでも適した道具」という発想は道具が規格大量生産されるようになって初めて生まれた発想であった。
先ずはっきりしなくてはならないのは「道具は始めからその人のために作られたものが一番いい」ということである。なぜなら、道具は「人間の能力を強化し発展させるために現われたもの」だからである。
人は道具を用いることで人になったと言われている。石を用いて獲物を殺し、棒切れを用いて穴を掘って芋をとり、或は枝の先の果物を殴り落としたのである。その時,石も棒も手の能力を強化し拡張するものであった。そうして道具はますます発展していく。メガネは眼の能力を広げ、銃は手による投擲の能力を強化し、車は脚の能力を、衣服は皮膚の能力を、器は手のひらの能力を、そうして,コンピュータは脳の能力を強化し拡張するために生まれた。
道具のこのあり方は当然のことにそれぞれの人の手であり、脚であり、脳の延長線として一体的に生み出される。義足が欠けた能力を補うためにあるのに対して道具は能力をより強化するためなのだが、義足がその人に合わせてつくられるように道具も当然特注で誂えるべきものなのである。
道具は生体の能力を強化するプラスの義足と考えればいい。何不足ない正常な能力をもつ人間がもっともっと能力を強化したいと発明したものなのである。ラジオもテレビもカメラも電気釜も洗濯機も都市の道路もガードレールも何もかも、道具は都市も建築も含めてすべてが「人の能力を強化するため」のものなのである。
これはまるで,まさにサイボーグのようである。人間なのだが機械がそれを強化して人間のままに機械化された人間。道具の未発達なだけの理由で「道具は未だに身体に埋め込まれていない」だけである。現代の人間は道具の力を借りてやっと現代生活を送っている。
こうして生まれたプラスの義足は当然のこと、本当はその人だけのものになる。決して誰でも使えるものではない。そのことをはっきり知るべきである。それを前提として、現代の産業でどう作り、どう供給することが正しいかを構想することである。