2006.10.01
DT DESIGN AWARDS 2006 募集要項を発表しました。

 
 


 
「特殊と普遍」/その解説  by 黒川雅之

6.自分のためにつくる

自分の個性を否定してデザインができるか。個性とはその人のすべてが顕われることなのだから所詮は無理な話である。自分を殺すのではなく,他者を生かすデザインなら可能である。
他者の個性でデザインできるか。他者の表現を真似たり時代の流行を追いかけたりしてデザインすることは出来る。しかし、そう見えても所詮、そのデザインは自分の意見で,自分の感性で捉えた他者の個性であり時代の感覚なのだから自分を出ることは出来ない。
人のためにデザインするとは一体どんなことなのか。個性ではなく普遍を目指してものをつくることとはどういうことなのかを考えてみる必要がある。
建築家として他者の家族の家を設計することは苦しいことであった。出会ったばかりで理解等出来るものではないから真面目にその家族を思えば思う程苦しい作業になった。
或る時、気づいたことは先に述べた「他者の参加の仕掛をつくること」とともに、「どんなに他者を思っても自己からは抜け出せない」ことであり、すべての人間の行為は,この設計という行為さえ、「自己と他者の会話なのだ」ということであった。ここから複数の方法が見えてくる。一つは「参加の仕掛としての表現の自己制限」であり、もう一つは「他者のためではなく自分のためにデザインすること」であり、最後に「他者へ向けての自己表現をすること」である。
「表現を単純化して過剰な表現をしない、しかも消費者という他者のためではなく自分のためにデザインすること」ということになる。普遍的な思想は自己のためのデザインからこそ見えてくるというのが結論である。
このことはこんな風に表現することが出来る。道具がすべて自分の身体の機能の拡張のためであった。その道具の身体性を考えれば先ず大切なことは自分のための道具をつくることである。しかし、イチローのバットはどれ程、他の選手のバットと違っているのか。イチローのバットに多くを学ぶことが出来る筈である。他者のバット、或はバットと言うものはどうあるべきかをそのイチローのバットから発見できる筈である。
自分にとってカメラや車や住宅はどうあるべきか。自分のためだけのカメラや車や住宅を考えることから始めるのが一番の近道である。統計を取れば普遍的デザインが見えるわけでもない。普遍は自己の思想の中に発見できるのである。