2006年のテーマ「特殊と普遍」
このテーマはユーザー全部のことを平均的に考えることをやめて一人ずつの「僕だけの、私だけの道具」をえがくことから始めることの大切さをもう一度考えようということである。

大量生産によるこれまでの製品は「平均的な消費者のための製品」であった。そのために多くの人々は何らかの我慢を強いられてきた。今日では消費者は個性的となり、平均的な消費者のイメージは希薄になった。今、問われるのは平均的なデザインではなく、「誰でも納得する普遍的なデザイン」を発見することなのです。

全ての道具は昔から「自分だけのもの」だった。大工は自分だけの道具をつくって持っていたし、料理人は自分だけの包丁を持っていた。今でもスポーツ選手は自分だけのバットを、自分だけの靴を準備している。

道具は人間の身体の延長であり、身体の機能をより高度に拡張するために生まれた。衣服は皮膚の機能の強化、コンピュータは脳の、メガネや望遠鏡は眼の、そして、車は足の機能の強化のために生まれたのである。当然、物は全て「自分に合った自分のための道具」でなくてはならない。

「標準化、規格化」や「ユニバーサルデザイン」とは同じものを大量に生産する現代の生産の仕組みからやむを得ず生まれた「普遍の思想」なのだがこの普遍化も膨大な数の「特殊性から出発」してこそ発見されるべきである。

もう一度、道具の原点に戻って「自分だけの道具」を自分の気持ちと自分の手と自分の頭で探して欲しいというのがこのテーマの趣旨である。「みんなの物とは究極的にはこの自分のための物から出発して自分の深層に発見するもの」なのである。

現代的な「普遍」というテーマを「特殊」という出発点から問い直すことで現代のデザインの重要な問題をブレークスルーしようというのである。